Fighting Kouichi!


by m.ko-1
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:GMO( 26 )

前述の「予測が出来ない事が起きる可能性」に含まれるかもしれないが、外から遺伝子を入れることで、もともとあった遺伝子が壊れたり、あるいはもともとあった遺伝子が異常に発現するようになって毒性を持つ可能性(例えば、じゃがいもに含まれるソラニンが大量にできてしまうとか)、が指摘されることがある。

いまの遺伝子組換えの技術では、どこに外来の遺伝子が飛び込むか分らないから(コントロールする技術もないことはないが、まだ一般的ではない)、このような可能性はもちろんある。

しかし、そのようなことが起きていない組換え体を選んでくればいいだけのことで、まともなものを選べんできたら、それが途中から突然わけの分らぬことが起きるわけではない。

また、普通の育種(交配、突然変異)であっても当然そのようなことが起きる可能性はある。と言うか、普通の育種のほうが一体何が起きているのかは分らないものから、この危険性を指摘するのであれば、普通の育種も拒否することになる。
[PR]
by m.ko-1 | 2004-04-15 01:57 | GMO
予測が出来ない事が起きるかもしれないという。

未来は誰にも予測できない、という意味ではそのとおりだが、遺伝子組み替え食品だけ特別扱いする理由はどこにもない。
具体的に指摘することがなくなると、こういうあいまいな指摘が出てくるが、それに対しては「予測できることなどあるのかね?」と言うほかない。

自分が実際に遺伝子組換えやってるかぎりにおいては、「予測の出来ない、なにかとんでもない出来事」が起こる可能性というのは感じられない。

人間がいわゆる遺伝子操作を始めて数十年、遺伝子組み替え作物が大量に消費されるようになって10年近く経つが、「予測の出来ない、なにかとんでもない出来事」というのは起きていない。

だから「絶対安全」などとは誰もいえないが、むやみに恐れる必要はないといえるだろう。

もちろん今の技術にはまだ欠点もあるし、危険なものを作ろうと思えば作れる。だから決して野放しにしてよいわけではなく、チェック体制をしっかりして、改善すべきことは改善していけばよい。

具体的な指摘であれば、改善のしようもあるから意味もあるが、「なんとなく」、とか遺伝子組み替えに限らず、あらゆることに当てはまるような指摘には何の価値もない。
[PR]
by m.ko-1 | 2004-04-15 01:54 | GMO

食経験がない

今まで人類が食べたことがない全く新しいものだから、100年、200年後にどうなるかわからないじゃないか、という主張がある。

そりゃあ、未来のことで絶対はない。しかし、100年、200年も前から食べつづけてきたものなんて、いくつある?
今ある品種のほとんどは古くても数十年程度前に作られたものだ。つぎつぎ新しい品種が出来ているが、「食べたことがない」と拒否する人はいない。
品種に限らず、100年前の日本には存在しなかった食材、調理方法、保存方法だらけなのに、遺伝子組み替え食品だけ特別扱いする理由はない。

「カップラーメンと遺伝子組み替えの納豆」の人類の未体験度といえばカップラーメンの方がよほど大きいはずだ。
[PR]
by m.ko-1 | 2004-04-15 01:53 | GMO

自然に反する

「自然のものがいいんだ」という信仰のようなものがある。「遺伝子組み替え」はその自然の摂理に反するからいやだ、という主張がある。

そもそも自然とは何だ?
「ヒトが手を加えていない」ものなら何でもいい?「ヒトが手を加えていない」もので安全に食べられるものなんて、実際にはほとんどない。
野生動物の暮らしが一番、と文明の一切を拒否する人とは議論の接点がないが、普通の現代人の暮らしをしている人が考える「自然」「天然」と「遺伝子組み替え」は相反するものではない。

カップラーメンと遺伝子組み替えの納豆のどちらが自然かといえば遺伝子組み替えの納豆の方だ。

普通の交配だって遺伝子を組み替えているが、いわゆる反対派は「近縁種の遺伝子組み替えは自然だが、種の壁を超えた遺伝子組み替えは自然に反する」という。そして「植物にバクテリアの遺伝子が入ってる」とさも気持ち悪そうに宣伝するのだ。

しかし、「種の壁を超えた遺伝子組換え」だって自然界では起きている。そうでなければ進化は起こらなかった。すると「進化は何万年もかけて起こるからいいんだ」という。

しかし、もちろん種の壁を超えた遺伝子組換えは「何万年」の話だけではなく日常的に起きている。具体的には土壌細菌の一種は植物の遺伝子を組み替えて自分に快適な住環境を作り出している。そのような事例は微生物−昆虫の組み合わせでも発見されている。
自然界では、ヒトが遺伝子の存在に気付くずっと前から遺伝子組み替えを利用している。
[PR]
by m.ko-1 | 2004-04-15 01:51 | GMO

反対派の論理

「遺伝子組み替えに反対する世論」というのは実際のところほとんど根拠を持っていない。このため、いわゆる反対派が主張していることをいちいち論破しようが、世論にはあまり影響がない。反対派は論破されれば、新しいこじ付けの論理をもって反対してくるか、論破されたことは無視して元の主張をひたすら唱え続けるだけなのだから。

結局のところ、世論を変えるためは短期的には表示規制のようなことしかないと思うのだが、「なんとなく」の人も、いわゆる反対派が主張していることを聞いてその気になってしまうこともあると思うので、取り上げてみよう。
[PR]
by m.ko-1 | 2004-04-15 01:51 | GMO

遺伝子組み替え食品

日本では遺伝子組み替え食品というのがなかなか受け入れられていない。
アンケート調査などをすると、たいてい8割方の人が「なるべく避けたい」と答えるようだ。
農家や企業もそんな「世論」に配慮して、遺伝子組み替え作物を扱うのをためらっている。というか、「遺伝子組み替え作物を使っていません」というのが売り文句になっているのだ。

ところが、消費者が遺伝子組み替え食品なぜ避けたいのか?というと、これが実はほとんど根拠がない。要するに「なんとなく」なのだ。

なぜ「なんとなく」いやなのか?
実はこれが、スーパーに行くと氾濫している「遺伝子組み替え〜を使っていません」という表示にあると思う。

この表示の大義名分というのは、「消費者に選択権を与える」ことらしいが、どれを見ても「遺伝子組み替え〜を使っていません」と書いてあれば、「遺伝子組み替え〜」はよくないものなのだな、という印象をもつのは当然だ。実際アンケート調査で遺伝子組み替え食品にネガティブな印象をもつようになった理由の第一位は「商品パッケージの表示から」である(日本能率協会総合研究所2002.10.10-16調査)。

しかも「選択権を与える」といっても「遺伝子組み替え〜を使用しています」と表示された食品が皆無なのだから、実は選択権などない。(最近ベンチャー企業が遺伝子組み替え大豆で納豆を作って売り出したが、通販でしか手に入らない。スーパーで安く手に入るようにならないかぎり、ほとんど意味がないだろう)

結局のところ、この表示は消費者に誤解を植え付ける役目しか果たしていないのだ。本当にこの「表示」の威力は侮りがたい。無農薬、有機、無添加などという表示があれば、農薬や化学肥料や添加物によくない印象をもつ。逆に天然素材使用とか、植物性素材使用とか、あるいはマイナスイオンだの、活性水だのEMだの正体不明、根拠不明のわけのわからぬものでも、商品に宣伝文句としてついていれば、なんとなくいいものなのではないかという印象をもつ。

氾濫する商品情報の真偽をいちいち調べる人は少ないから、結局判断材料は商品パーケージの表示のみ、という場合がほとんどではないか。
「選択権を与える」を与えるのは大切だが、ミスディレクションを誘発する宣伝文句は禁止すべきではないかと思う。「マイナスイオン」のように根拠のないことは表示禁止。
「遺伝子組み替え」に関して言えば「使っていません」は使用禁止にすべきだし、「使用しています」にしても「どんな遺伝子組換えなのか」を表示するのでなければ何の意味もない。除草剤耐性の遺伝子が入っているものもあれば、殺虫性の遺伝子が入っているものもあり、もともとある遺伝子の発現を抑えただけのもんもあれば、さらに将来的には栄養を強化したものとか、花粉症に効くものとか、アレルゲンを低減したものも出てくるだろうが、それらをひとまとめに「遺伝子組換え」と言っても何の情報にも成らない。

本当は規制に頼るのではなくて、消費者が商品の表示だけで「なんとなく」判断するのを止めて、根拠を求めて自分で判断する能力をつけるのが一番いいのだが、それには即効性の特効薬はない。地道に情報公開、広報活動、教育などをしていくしかない。
[PR]
by m.ko-1 | 2004-04-14 18:33 | GMO