Fighting Kouichi!


by m.ko-1
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素朴な感覚

「昔ながらのやり方で栽培されたもの、または自然にあるものを食べている限りは、安全である、という素朴な感覚」

・・・これはまた、ふりだしにもどりましたね。まさにその「素朴な感覚」というのが科学的に誤った認識にもとづいている、と言いたいのですよ。

例えばアンケート調査をすると、「遺伝子を食べるなんて気持ち悪い」という返答があります。「素朴な感覚」ではありますが、明らかにそれは間違った認識です。

「なんとなく身につく感覚」は「理屈」がもとになるのではなく「知識」をもとに出てくるのです。「BSEからのアナロジー」というのも、まさに「BSEの原因は肉骨粉にある」という科学的知識にもとに出てくるわけですね。アナロジーという思考の過程ももちろん問題ではありますが、まずは出発点となる「知識」が正しいのかどうかが重要です。
もちろん、その「知識」は科学的なものとは限りません。

「遺伝子組換え」という科学技術に対して抱く「感覚」であれば、それは科学的に正しい知識によって出てきたものでなければならないのは当然のことです。
そもそも「遺伝子」とは何かという知識もなく、あるいは「遺伝子組換え」の定義も知らない人が、「遺伝子組換え大豆は使っていません」と書いてある商品のパッケージを見ると、「遺伝子組換え大豆」というのは良くないものなのだな、と思う。
まさにこれはミスディレクションです。

「なんとなく出てきた素朴な感覚」が、科学的に間違った知識や無知から出てきているのなら、それは当然指摘すべきでしょう。それを「市民を無知蒙昧な大衆と見るテクノクラートであると見做される」というのは、わけがわかりません。

写真を初めて見た人が、写真に写されると魂を抜かれると思った。それは「素朴な感覚」かもしれませんが、その「素朴な感覚」をもってカメラの開発が禁止されるとしたらどう思いますか?

地雷の問題では無知や事実誤認を嘆いているくまのみさんが、遺伝子組替えでは無知や事実誤認を肯定するのもまた随分矛盾していませんか?
地雷除去ロボットを開発していると聞いて、「日本の科学技術を生かして、地雷除去ロボットを作るなんて素晴らしい!」と思うのは「素朴な感覚」だと思いますが、それは違うんだと訴えているわけでしょう?もっと現場に関する亊とか、様々な知識を持てと。

「自然科学的理解の上での誤解を解くという作業自体は、価値中立的なものであって、反対派にも、賛成派にも利益があり、どちらからも求められてしかるべきものですね。」

そうです。だから自然科学的理解の上での誤解を解くという作業をする人が、賛成派なのか反対派なのかは関係ないですね。そしてその人がどちらの立場に立っているかを表明しているか否かも関係ありませんね。ぼくに「推進論者としての資格」があるかどうかも関係はありません。
科学的な事実に、「推進」「反対」の色はありません。どちらの立場の人がそれを言っているのかではなく、それが科学的に適切なのかどうかが問題となります。
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by m.ko-1 | 2004-04-17 02:33 | GMO

職業観

「問いの立て方が、自然が対象の科学と、人文・社会科学では違うのです。」

ははあ、ようやく、くまのみさんのいいたいことがちょっぴりわかったかも。
(地雷除去ロボットの例はともかく、兵器の開発を同列に扱われるのは心外ですが)

組換え食品がいいかどうか、という問いを立てるのではなくて、その前に食糧危機を救うにはどうしたらいいのか、という問題設定をせよ、ということでしょうか?

「いま埋まっている地雷をどうやったら除去できるのか」という前に、地雷を根絶するにはどうしたらいいのか、ということを考えよ、と。

生物学者という立場から、どのように食糧問題に貢献できるかという発想をすると、遺伝子組換え植物を開発するという結論に達する。
ロボット工学の技術者という立場から地雷問題にどう貢献できるのかという発想をすると、地雷除去ロボットを作ろうという結論に達する。
しかしそういう発想では「最も社会的に意味のある、効果的な自らの使い方を決める」亊はできないよ、と。

つまりは、社会問題が先にありきか、職業が先にありきかということですね。
くまのみさんの主張は、「まず社会問題を考え、その解決のために最も効果的な自分の使い方、すなわち職業を決めるべき」だと。
あっていますか?

・・・それはまあ、職業観というか人生観の問題ですね。
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by m.ko-1 | 2004-04-17 02:20 | GMO

問題の立て方

「Hiroさんの主張は、例えば「原子力発電の是非」についての推進論者の議論と全く相同なわけです。この問題の立て方、構図が、「建設的」なものなのかどうか、私の疑問はそこにあります。」

う〜〜む?どうも話がすれ違っているように感じるのは、ぼくが「科学的には問題がない。だから推進すべき」という短絡的な主張をしていると誤解していませんか?

繰り返しになりますが、今回主張していることのメインは「遺伝子組換えに特有の危険性があるというのは誤解である」ということであって、「遺伝子組換作物の是非」について述べたつもりはありません。どこかにそんなこと書きましたっけ?

もう一度最初に書いたものを読み返しましたが、「遺伝子組換えに特有の危険性があるというのは誤解である」という一連の主張と、「なぜ日本では受け入れられていないのか? 受け入れられるためにはどうしたらいいのか」と言う考察から成っていると思うのですが。
もし「遺伝子組換作物の是非」について主張をした文と読めたならば、それはぼくの意図していることではありませんので訂正します。

「遺伝子組換作物の是非」について述べるなら、経済的、倫理的判断も必要になるのはもちろんのことです。
しかし科学的に間違った認識の上で、経済的、政治的な論議をしたって建設的な議論にはならない。だからまずは、誤解があるならそれを解いておく必要がある、と思います。
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by m.ko-1 | 2004-04-16 00:27 | GMO

真意が別

「例えば、遺伝子組換そのものにでなく、特定の応用事例に反対する人というのは「いわゆる反対派」に入りますか?「遺伝子組換えに特有の危険性」はないと思っているが、農業振興政策として、あるいは科学技術振興政策として、優先順位を高く考えることに反対する人は「いわゆる反対派」に入りますか?」

特定の事例を指摘て反対するのも、あるいは政治的、経済的見地から反対をするのは「いわゆる反対派」には当たらない、と言ったつもりですが。
「いわゆる反対派」とくくったのは誤解を煽ることで反対の世論をかもし出そうとする人たちです。

「真意が別にある」というなら、なぜその真意を持って議論しないんですかね?
特定の事例に疑問がある、あるいは政治的、経済的に問題があると言うなら、そういう議論をすればいい。
本来すべき議論を差し置いて、誤解を煽ることで反対の世論をかもし出そうというのはおかしいんじゃないですか?

ぼくとしては、誤解を煽って、なし崩し的にGMOを締め出すというやり方が許せないんですな。GMOに限らずいわゆる「マイナスイオン商法」も実に許しがたいのでいずれ取り上げたいとは思っていますが。

「遺伝子組換えへの反対の理由も多くは遺伝子組換そのものの危険性への認識からのものではなく、他の経験からのアナロジーによるものでしょう。」

危険性ではなく他の経験からのアナロジー?
よくわからないので説明をお願いします。
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by m.ko-1 | 2004-04-16 00:19 | GMO

個人の意見

「誤解を除くのに集中はしていませんね。たとえば、「経済的利害」「大企業支配」について書くとき、それはあくまでも専門家ではないHiroさん個人の意見の主張に過ぎません。」

んん?
「大企業支配」の部分で主張したのは、遺伝子組み替えに特有の事情があるのか?と言うことだけだと思いますけど?
大企業支配の良し悪しについて意見してるわけではないし、問題がないといってるんじゃないんですよ。問題はあるかもしれないが、遺伝子組み替えに限った問題ではないし、政治的に解決可能な問題ならば、遺伝子組み替えを特別扱いして排除することに合理性はない、と言っています。

「経済的利害」の部分は確かにぼくの「意見」ではありますが・・・それはくまのみさんが話を振ったからだし、・・・意見は言っちゃいけないんでしたっけ?
「あくまでも専門家ではないHiroさん個人の意見の主張」というのはなんとも皮肉がこもっていますが、専門家から見たら、具体的にどこがおかしいと感じたのか指摘して下さいませ。
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by m.ko-1 | 2004-04-15 23:34 | GMO

現場知らず

「提案型技術開発をしている人に、現場を、社会をあまりにも知らない人があふれているという実態です。そして、その人たちが研究を続けるためには、その人たち自身が自らの社会的有用性を訴えなければならないという構造です。」

「地雷除去の機械を開発する技術者」の例をもって、すべての技術者や研究者の姿勢を批判されているようですが、一をもって十を言うのはよくないと思いますね。
あまり話を一般化されると、単なる悪口に聞こえます。

ぼくも大学での研究実態には魅力を感じられなくなって飛びだしたクチですから、くまのみさんの研究者批判には同意したい部分も多々あるんですけどね・・・
いまは研究者の立場としてリプライするので、なるべく具体的にお願いします。

研究者が「現場を知らない」ために間違った課題の設定をしている、と言うなら、現場を知っている人間が具体的に、その問題設定のどこが間違っているのか、どうすべきなのかというサジェスチョンを与えればよい。そのために「学際的な問題の把握のためのコーディネーションのメカニズムが必要」なのはその通りだと思いますよ。
では、そのために研究者は具体的にどういう行動をとるべきだと考えますか?

「将来的な食料不足に備えるために、収量をあげる研究をする」というのは「現場を知らずの役立たず」な問題設定なんでしょうか?
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by m.ko-1 | 2004-04-15 23:10 | GMO

技術革新

おおおおお、このスピードにはちょっと追いつけないですな。

ちょっとつまみ食いのリプライで、話が前後したり、繰り返しになる部分もあるかも知れませんが、気になったところから。

「技術革新は対処療法には役立っても、問題そのものの解決には役立たない」というのはちょっといいすぎでしょうね。

「100人で100個のものを分ける時に、一人で50個取ってしまう人がいると、1個ももらえない人がたくさん出てくる。技術革新で200個作れるようになっても、公平な分配がなされなければ、やっぱり1個も取れない人が出ててる可能性がある。」
「だから200個作ると言うのは本質的ではなく、公平な分配をすることこそ問題の本質的な解決には大切だ。」
こんな意味に解釈してよろしいですか?

前半の問題提起はもっともでありますが、「パイを増やすことは対処療法でしかなくて、分配方法を変えることこそ本質的」という部分には同意しかねます。

極端な話をすれば、100人いるのに10個しかパイがないと言う状況では、どんなに分配方法を工夫してみたところで、90人はもらい損ねる。
しかし1000個のパイがあれば、分配方法を工夫することで、全員に配ることができるになる。
10個のパイを1000個に増やすことは「問題そのものの解決には役立たない」ですか?

もちろん1000個あったとしても、分配方法によってはやはり多くの人がもらい損ねると言う状況に変わりがないかもしれない。
だから、「パイを増やすこと」のみでは解決に役立たないと言えるかもしれませんが、逆に「100人いるのに10個しかパイがないと言う状況」なってしまったら「分配方法を変えること」だけでは問題の解決には役立たないとも言えます。

「パイを増やすこと」と「分配方法を変えること」は、どちらも欠かすことが出来ない本質的な問題解決の手段なのですよ。

理想を言えば「100人で100個のものをわける」状況が永遠に続くならば、「分配方法を変えること」だけで問題の解決可能でしょうが、現実には「人は増えるが、パイは減る」。技術革新なくしては、パイを増やすどころか維持するのも難しいのではないでしょうか?

将来の世界の食糧問題には、「適切な分配」「人口の抑制」「技術革新」どれも本質的で欠かせないアプローチと考えます。

ただ、くまのみさんのいままでのコメントから察するに、「技術革新」が必要ないというのではなくて、予算分配が間違っている。役に立たないかも知れない研究に大量の金をつぎ込むよりも、そのお金があれば現場でもっと役に立つことができる。「適切な分配」「人口の抑制」「技術革新」の3つのアプローチがあるのなら、日本の場合は「技術革新」の部分に偏りすぎだ。・・・と考えておられるのではないかと思うのですが、どうでしょう。
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by m.ko-1 | 2004-04-15 22:44 | GMO

その他

「いわゆる反対派」と言う表現が気に入らなかったでしょうか?
いわゆる反対派といったのは、建設的な議論をしないで科学的な装いで誤解を振りまいている人たちのことを揶揄する意図がありますが、建設的な意図をもってGMOの危険性や問題点を指摘する正統的な反対派になかなかお目にかかれないので。

「WTOにおける知的権利をめぐる議論」というのは、例えば「途上国で古来から伝承されている薬用植物の遺伝子を先進国の企業が取って特許化、薬を製造して途上国に売りつけるという事態にならないか?」とか、「今まで使っていたものに特許の網がかけられて、ある日から特許料を支払わなくてはならなくなる」とかと言うようなことでしょうか?

まあそれは、どのようなものに特許権を認めるべきかと言う問題で、技術が悪と言う話ではありませんね。適切な規制をかけるべきだと思います。

ぼくが主張しているのは、「遺伝子組み替えは絶対安全」とか「何が何でも普及すべき」とか「どんなことでも解決できる万能の技術」と言っているわけではなく、
「将来的にも解決の出来ない遺伝子組み替えに特有の危険性というのはない」、「誤解によってこの技術が締め出されようとしている日本の現状は看過されるべきではない」という点にあります。
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by m.ko-1 | 2004-04-15 13:58 | GMO

倫理、嗜好

「倫理、嗜好といった文化的なものには、内在的な論理性はある場合があっても、普遍的な合理性を求められるものではありません。」
「そうした議論における科学者の役割は、あくまでも誤解を除くというような限定的なものに留めるべきではないですか?」

ぼくの書いている意図はまさに「誤解を除く」と言う点に集中しているつもりだったのですが、逸脱している部分がありますでしょうか?

確かに宗教に合理性を持ち込むのは無理があるでしょうね。豚や牛を食べろと説得する気はありません。

ただ嗜好に合理性を持ち込むのは、宗教とはちょっと意味合いが異なります。食品の選択はおいしい、まずいだけではなく、体にいいとか悪いとか言う情報に大きな影響を受けます。その体にいいとか悪いと言う判断には科学的な根拠、合理性があってしかるべきじゃないですか?

青汁はまずいが体にいいと思うから飲む人がいる。しかし仮に実は体によくないんだとわかったら飲む人はいないでしょう。体に悪いとわかったうえで、あえて飲もうと言う人まで止めるつもりはありませんが。(あくまで仮の話で、青汁が体に悪いと言うデータがあるわけではありません)
ポリフェノールがいいとなれば赤ワインが売りまくり、ココアだ黒酢だヨーグルトだと次々いろいろな健康食品がブームになるが、そのブームの元となる科学的根拠が正しいのかどうかもわからずにブームに乗るのは賢明とはいえない。

GMOもまさに「体によくないのではないか」と言う誤解こそが、日本で受容されていない原因でしょう。
正確な情報を知った上で、やっぱりいやだ、というのに反対するつもりはありませんが、そんなレベルには達していない。
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by m.ko-1 | 2004-04-15 13:54 | GMO

経済的利害

「政治の議論においては、遺伝子組換技術そのものについての科学的な根拠というのはもちろん重要ながら、経済的利害(これには貿易との絡みも大きいでしょう)、倫理的な判断、その他、極端なことを言えばその時の国民の「嗜好」も重要な要素です。」

そのとおりです。自国の農業を守るために遺伝子組み替えを締め出す、と言う政治的判断があるなら、それはそれでもかまわないと思う。本当に自国の農業が守れるなら。

しかし日本が鎖国して生きていけるならともかく、自給率がどんどん低下している現状で自国での組み替え作物の開発、栽培を止めれば、さらに自国の農業が競争力を失ってしまう。見かけ上のGMOを排除したとしても、飼料として、あるいは加工品としてすでに大量のGMOが輸入されている。
経済的利害と言うことに関して言えば、中長期的には、自国での組み替え作物の開発、栽培の禁止は決してプラスになる判断ではないと思います。
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by m.ko-1 | 2004-04-15 13:52 | GMO